【エッセイから学ぶ韓国語】『わたしの心が傷つかないように』(내 마음 다치지 않게)~「역지사지」=「易地思之」=相手の身になって考えること

2021年6月10日、日本実業出版社から出版された話題の韓国イラストエッセイ『わたしの心が傷つかないように』(내 마음 다치지 않게)。

何度も読み返して共感できるのは、固定観念を押し付けず、物事を多面的に「観察」し、最善の道を模索しようとする筆者の「柔らかいこころ」だ。

 

今回は、日本語訳版 Chapter5「相手を理解することから」(P196)に対応する韓国語版「역지사지」(P170)について考えてみたい。

 

筆者は難しい人間関係への理解を示す。

相手の立場になって考えるということは、他人を理解するためのいちばん有効な方法のひとつだ。

でも、立場を入れ替えて考えることは、口で言うほど簡単じゃない。

 

とうてい理解できない相手の言葉や行動を見ていると、「あの人はいったいどうしてああなんだ?」と思ったりもする。

 

あなたも日々の対人関係の中で実感していることでしょう。

 

そこで、筆者は「演劇でいう一種の『役割交代』」を提案する。

相手の立場になって状況をたどっていくと、ぜんぶは無理でも一部は理解できることがあるはず。

ただ、共感できるという事実が大事なのだ。

この「一部を理解」から始めるって大切だと思う。

 

このような立場が・・・、

「역지사지」
ヨクチサヂ

「易地思之」(相手の身になって考えること)

 

「易地」とは立場を入れ替えるという意味で、「思之」は「考える」ということ。

 

もちろんお互いに「純粋な個人」として存在しているわけではなく、「社会的な背景」も絡まってくるから問題はそう簡単ではない。

逆に、「社会的に置かれた境遇」が近いなら、個人的な感情で一時的に対立していても、きっと「共感」し、分かり合える糸口を見つけ出せる可能性はあるのだと思う。
でも、あくまで「可能性」。うまくいかなくて残念に思うことはあっても、悲観する必要はない。

 

相手の身になって考えたからといって、問題がすべて解決するわけじゃないけど、きっと前よりも穏やかな気持ちで問題と向き合えるようになる。

真の問題解決は、無意味な罵りではなく、理解と共感から始まるから。

あたたが「穏やかな気持ち」でいられることが一番大切。

なぜなら、「自分という存在は、この世でいちばん尊い」のだから。